これは、少し個人的な話になります。
私の従姉妹が、自宅で亡くなりました。
いわゆる、孤独死でした。
発見されたのは、亡くなってから、だいぶ時間が経ってからのことです。
その結果、その家は「事故物件」と呼ばれるようになりました。
もちろん、亡くなった本人が一番無念だったと思います。
ですが、現実には、その後に残された人たちにも、大きな負担がかかります。
特に大変だったのは、従姉妹の妹です。
手続き、片付け、周囲への対応。
そして、言葉にしづらい感情の整理。
ひとつひとつを、誰にも頼れない中で、背負っていました。
その姿を見ていて、私は強く感じたことがあります。
「これは、個人の問題ではない」ということです。
誰にでも起こりうることであり、
そして起こったあとに、きちんと向き合う仕組みが、まだ十分ではない。
事故物件という言葉だけが一人歩きして、
そこにあった人生や、残された想いが、置き去りにされてしまう。
私はそこに、違和感を持ちました。
だからこそ、私は事故物件で手を合わせます。
それは、何かを追い払うためではありません。
そこにあった時間、
そこにいた人、
そして、その後に関わる人たちのために、
ひとつの区切りをつけるためです。
供養とは、過去を消すことではなく、
きちんと受け止めて、次へと進むためのものでもあるのです。
あのとき感じたことが、
今の私の活動の原点になっています。
もし今、同じような状況で悩んでいる方がおられたら、
一人で抱え込まずに、ご相談ください。
必要な方に、必要な形で届けばと思っています。