「事故物件」と聞くと、多くの方が「怖い」「気持ち悪い」といった印象を持たれると思います。
しかし実際には、事故物件とは何か、そして供養は必要なのかについて、正しく理解されているケースは多くありません。
この記事では、僧侶の立場から、事故物件の考え方と供養の意味についてお話しします。
■事故物件とは何か
一般的に事故物件とは、
・室内で人が亡くなった
・事件や事故があった
・発見までに時間がかかった
といった経緯のある物件を指します。
ただし、重要なのはここです。
⇨「人が亡くなった場所」=すべて事故物件、ではない
自然死であっても、状況によっては事故物件と扱われることもありますし、逆に、告知義務が不要になるケースもあります。
つまり、事故物件というのは法律的な問題と、心理的な問題が重なったものです。
■なぜ「気になる」と感じるのか
事故物件に対して、
・なんとなく嫌な感じがする
・空気が重い気がする
・落ち着かない
といった感覚を持つ方は少なくありません。
これは必ずしも「何かがいる」という話ではなく、
・出来事の印象
・情報による先入観
・空間に対する感受性
などが影響しています。
ただし一方で、
⇨「何も感じない人もいれば、強く感じる人もいる」
これもまた事実です。
■供養は必要なのか
では、事故物件において供養は必要なのでしょうか。
結論から言うと、
⇨「必ずしも必要ではないが、行う意味はある」
と考えています。
阿彌陀寺で言うお亡くなりになった方への供養とは、何かを追い払うためのものではなく、そこにあった時間や存在を受け止め、本来あるべきところへと還していく行為です。
真言宗的では、全ては大日如来という大きな生命の中で生きる存在であり、個々の生命は、命が尽きれば大日如来へと還っていくと考えます。
また、阿彌陀寺の本尊さまは阿彌陀如来ですから、阿彌陀如来の世界である極楽浄土へと導きます。
供養は、その流れを整える行いとも言えます。
■供養を行うことで変わるもの
死後の世界を信じない方にとっても、供養を行うことで変わるのものがあります。
・関わる人の気持ち
・空間の受け取り方
・次に進むための区切り
こういった部分です。
実際に、
・入居前に供養を行ったことで安心できた
・気持ちの整理がついた
という声もあります。
■放置するという選択について
もちろん、何もせずにそのままにするという選択もあります。
ただ、「気になっている状態」をそのままにすることは、結果としてストレスになる場合もあります。
そういった意味でも、無理に行う必要はありませんが、ひとつの選択肢として供養がある、と考えるのが自然です。
■まとめ
事故物件とは、単に「怖い場所」ではなく、誰かの人生の最期があった場所です。
そして、その誰かは、誰かのお子さんであり、場合によっては、誰かの配偶者であったり、誰かの親であったり、誰かの親友であったりした、誰かの大切な人だったのです。
供養は、その事実を否定するものではなく、受け止めたうえで、次へ進むための行為でもあります。
もし、気になる場所や状況がある場合は、一度立ち止まって向き合うことも大切かもしれません。